春宵十話(しゅんしょうじゅうわ) 岡 潔
ATACの技術者の皆さんは,共通して高校生のころまで,数学が好きだったでしょう。私自身も数学が好きでした。
今日ご紹介する本は,数学者岡潔博士の著された「春宵十話」という随筆集です。数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞された日本人には,小平邦彦,広中平祐,森重文の3名の博士がおられます。これらの受賞のすべてに少なからず影響を与えたという岡潔博士という数学者は,日頃からどんなことを考えて生涯を数学に捧げてこられたのか知りたくてこの本を読み進めました。
岡潔,1901年(明治34年)大阪生まれ。京都帝国大学卒業。フランス留学後,各地の大学で教鞭をとる。後年,多変数解析函数論の分野における超難題「三大問題」を解決し,数学者としてその名を世界に轟かせました。1960年(昭和35年)に文化勲章を,受賞。この随筆は,毎日新聞に連載されたあと,1963年に出版されたものが読み継がれ2014年に角川ソフィア文庫から改版初版が発行されたものです。難しい数学理論の話は一切なく,数学を研究し始めた経緯,研究時代の事,難問を解き明かしたときの日常生活の様子,交友関係の事などを十話の中で述べられています。
十話について,読まれる人の感想はそれぞれと思いますが,私自身の印象に残った部分を簡単に抜出しました。
【人の情緒と教育】 人の心を知らなければ,物事をやる場合,緻密さがなく粗雑になる。粗雑になるというのは対象をちっとも見ないで観念的にものをいっているだけということ,つまり対象への細かい心くばりがないということだ。だから,緻密さが欠けるのはいっさいのものが欠けることにほかならない。
【情緒が頭をつくる】 頭で学問をするものだという一般の観念に対して,私は情緒が中心になっているといいたい。とりわけ情緒を養う教育は何より大事に考えねばならないのではないか。
【数学の思い出】 いまは橋本市内になっている郷里紀見村の柱本小学校に二年生の中ごろまでいて,それから大阪市北区の菅南小学校に移った。中学校の時,試験の方はどうやっていたのか,ということになるが,試験は全部,まる暗記ですませていた。まる暗記の力では私は人よりすぐれていた。つまり,いっぺん覚えたら忘れないという力ではなく,しばらくの間覚えているというずるい力だが,この力は場合によっては随分大切ではないかと思う。
【数学への踏み切り】 京大では当初,物理学科に入ったが,講師の安田先生の講義を聞いた事とその期末試験の難問を解けたときのうれしさから数学科に転科することに踏み切った。
【フランス留学と親友】 フランスの留学先で中谷宇吉郎さんに偶然出会い,二週間ほど毎晩,寺田寅彦先生の実験物理の話を聞いたが,これが後々私の数学研究に大きな影響を与えたと思う。また,中谷宇吉郎さんの弟の中谷治宇二郎さんにも知り合い,とにかくどこかひかれるところがあって親しく交わった。
【発見の鋭い喜び】 よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが,私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。私についていえば,ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない。
【宗教と数学】 情緒が深まれば境地が進む。これが東洋的文化。欧米の数学者は年をとるといい研究はできないというけれども,私はもともと情操型の人間だから,老年になればかえっていいものが書けそうに思える。
【学を楽しむ】 日本民族は昔から情操中心に育ってきたためだろうが,外国文化の基調となっている情操の核心をつかむのが実に早い。
【情緒と智力の光】 真善美のうち最もわかりやすいのは美だが,たしかに美は実在する。数学の最も良い道連れは芸術である。
【自然に従う】 四季の変化の豊かだったこの日本で,春にチョウが舞わなくなり,夏にホタルが飛ばなくなったことがどんなにたいへんなことかがわかるはずだ。
この随筆集は,今から60年も前の,時代も技術も異なる時代に著されたものですが,今の時代の技術者にも学ぶ
ところの多い随筆集です。問題に行き詰まりを感じた場合は,岡博士の様に,しばらくその問題から離れて,自然の
美しさや絵画の美しさに触れたりしてゆっくりした時間を過ごすことも解決の一助になりそうです。
(2023年11月1日 山口誠 記)
データを正しく見るための数学的思考
How Not to Be Wrong (The Power of Mathematical Thinking) Jordan Ellenberg
私がATACに加入した4年前の事です。入会早々に、ATACで13年間続いている、綾部市の中小企業技術センター中丹技術支援室主催の品質管理教育のメンバーの一人に加えていただきました。さっそく、自宅の本棚の中にある品質管理関係の本に目を通しはじめている時に、手元にあるまま読む機会を失っていた1冊の本に目がとまりました。
その本が,この「データを正しく見るための数学的思考」という題名の本です。この本を私自身が知ったのは,2017年の8月にカナダのキングストンのある技術者の自宅兼事務所を訪問したときでした。長年アルミニウム,マグネシウム,リチウムといった非鉄金属の電解技術をリードしてきた彼と話をしているときにふと彼が自分の「ほんだな」にあった本の中の一冊を手に取り
「面白い本だよ」と私に手渡してくれたのでした。
チタンの製造技術で多くのアドバイスをいただいた尊敬する87歳の老技術者からいただいた本なので英語との格闘を覚悟しつつ完読を心に決めました。
英語版は,A Penguin Bookから出版され,その表紙には,NEW YORK TIMES BESTSELLERとかOne of BILL GATE’S “10 Favorite Books”とか書かれている事はすぐに気づきました。しかし英語力の不足から読み進むスピードは遅く何日か日を置くと
前に書かれていたことを忘れていたりしてなかなか先に進みませんでした。ようやく読破したところで,ある日,それほどアメリカで有名な本ならひょっとして日本語翻訳本が出版されているかもとインターネットで探しますと見つかったのが今回ご紹介する本というわけです。
この本は,2015年に松浦俊輔氏が翻訳し日経BP社から出版されています。全体で700頁の本です。
第1部(線形性)では,世の中の出来事の全てを線形近似する事の危険性を多くの実例で示しています。
第2部(推論)では,統計の値をそのまま信じてはいけないと説いています。
第3部(期待値)では,宝くじの数学的解析を述べています。
第4部(回帰)では,数学は,すべてにおいて間違わないための方法ではないと述べています。
第5部(現実)では,大衆の本当の気持ちと選挙の結果は必ずしも一致するものではないと説いています。
プロローグ部分の「アブラハム・ヴェルトと見えない弾痕」のお話を少し紹介します。
第二次世界大戦中当時,アメリカ政府は,自国の戦闘機が敵戦闘機に撃墜されないために必要最低限の重量の装甲をどのように施すべきかという研究に取り組んでいました。現役の空軍将校が使えそうないくつかのデータを統計学の頭脳集団(SRG)に持ち込みました。アメリカの戦闘機がヨーロッパ上空での交戦から戻ってくると機体には,胴体の方の弾痕が多く,エンジンにはあまり当たっていませんでした。将校たちは,戦闘機の胴体の部分の装甲を正確にどれほど増やせばいいのだろういう点にだけに関心を寄せていました。しかしその研究に取り組んでいたSRGのヴェルトは,装甲を弾痕があるところにはつけず弾痕があまりないところ,つまりエンジンにつけるべきだという答えを出しました。彼が着目したのは,見えない弾痕はどこにあるのかという点でした。損傷が飛行機全体に均等に散らばるとしたらエンジンの被覆全体にあったはずの弾痕はどうなったのか。ヴェルトは確実にそれを知っていました。見当たらない弾痕は,失われた戦闘機にあるのです。帰還する戦闘機のエンジンに弾痕が少ないのは,エンジンに弾丸が当たった戦闘機は帰還できなかったからと答えを出したのです。ヴェルトの勧告はすぐに実行に移され多くの戦闘機パイロットの命を救いました。この考え方は今でも海軍や空軍で用いられているそうです。
さて,カナダの老技術者は,なぜこの本を私に手渡してくれたのでしょうか?この本のあちこちに書かれている上記のような
話を通じて,「統計的なデータを見る時には,その後ろにある原理や原則を先に十分に考えないと間違った答えを導くよ」と教えてくれたのだろうか。あるいは,「技術コンサルタントとしてクライアントから相談を受ける場合,クライアントが求めている
答えをそのまま出すことがコンサルタントとしてのベストな対応ではないよ。そのクライアントが直面している実際の問題は何なのか,その問題を解決するためにはどういう解決法があるのかを原理原則に遡って考えることが大切だよ。」といったことを私に教えたかったのでしょうか?どちらにしても新人技術コンサルタントとして十分参考に値する本でした。又,中高時代の純粋な
数学に取組んでいたワクワクした気持ちをよみがえらせてくれる一冊でもありました。
(2023年2月5日 山口誠 記)
写真左:英語版 写真中央:日本語版 写真右:ユーチューブでみられるEllenberg氏の講演
太平洋ひとりぼっち
中学校に入った頃、太平洋を渡ったマーメイド号が京都駅前の百貨店で展示されていると聞いて友達と
見に行きました。(写真)
それは本当にちっぽけなヨットで、こんなもので太平洋を渡ったのかと驚いたことを覚えています。
購入した「太平洋ひとりぼっち」という文庫本は今でも持っています。書棚の奥から引き出すと、限られた
スペースに物を詰め込む当時の準備の大変さが克明に書かれています。
GPSも衛星携帯電話も無い時代、天測とビーコンだけで航路を定めたその堀江謙一氏が83歳で逆方向で
太平洋を渡ったと報道されました。
人間の探究心、冒険の意欲は年齢を重ねても衰えないものだと感心しました。
話は初航海に戻って、サンフランシスコに入港した時、もちろんパスポートもビザもないので不正入国になる。
しかし、当時のサンフランシスコ市長の「コロンブスもパスポートを持たずにアメリカ大陸に来た」の一言で、堀江青年の偉業をたたえ、
名誉市民として迎え入れたとの話は胸に響きます。 (2022年6月5日 坂井記)
本の匂い、珈琲の香り(続編)
以前、この「ATAC散歩道」に駄文を書いた丸善が再開されたと聞いて、京都に出た機会に訪問しました。
2005年に一度閉店したのですが、10年以上の時を経て再開された新しい店舗は大型商業ビルの地下にありました。(左写真)
昔と同じように専門書や洋書が広いスペースを埋めています。また高級文具や事務用品の展示・販売があり、地下2階には喫茶と軽食のコーナーもちゃんとありました。
31歳の若さで肺結核により没した梶井基次郎の代表作である「檸檬」(大正14年1月)に、「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆彈を仕掛けて來た・・・」と書かれていたために、10年前の閉店時には作品の上にレモンを置いて帰る人が多発したと報じられていましたが、新しい店舗にはちゃんと文庫版の「檸檬」の横にレモンのバスケットと記念スタンプが置かれていました(下写真)。 美しくなった丸善は、しかし何かが違うんですね。これは外観ではないノスタルジーと言うべきもので、もう一度行きたいとの気持ちは不思議に湧きません。あれほどあこがれたコーヒーを飲まずに帰ってきました。
ところで、昔読んだ懐かしい本はインターネットの「青空文庫」で無料で読めます。作者別、作品別の索引が充実していて、それらを見ているだけでも楽しいものです。また目が悪くなった現在、文庫本を読むのは厳しいですが、ネットですと大きな画面でとても楽に読めるメリットが有ります。
ありがたいことにほとんどの作品は 旧字旧仮名と新字新仮名の両バージョンがあります。機械作業で、スキャナーで読み取られただけの海外の電子ブックとは違い、ボランティアが手で入力したものです。
実はつい先日までこの無料の青空文庫は最悪のピンチに遭遇していました。それは他でもないTPPです。TPPでは著作権が作者の没後70年に改められる予定でした。米国の新大統領によりTPPが空中分解したおかげで、このまま著作権が70年に伸びなければ、山本周五郎(2018年)、三島由紀夫(2021年)、志賀直哉(2022年)、川端康成(2023年)が無料でネットで読める日が近くなります。 (坂井記)
著作権に関する追記(2021年10月30日):
環太平洋連携協定(TPP11)が2018年12月に発効したことにより日本の著作権法が改正され、著作権の保護期間は、従来の「著作者の没後50年まで」から、「没後70年まで」に延長されました。これにより山本周五郎、三島由紀夫、志賀直哉、川端康成などの作品は青空文庫での無料公開は20年後になりました。
ちなみに楽曲や映画も著作者の死後70年まで保護されていますので、印刷・配布物やWebsiteへの画像引用や投稿動画のBGMなどに使う
場合は注意が必要です。(坂井記)
ATAC25周年記念講演会録
・講演 『強みを活かす ~違いを超えた人財育成~』
・講師: 白光(株) 代表取締役社長 吉村 加代子 氏
・平成 28年9月29日 於: 大阪科学技術センター大ホール
ATAC25周年おめでとうございます。こんなに大きなイベントで話をする機会は初めてです。ためになるアカデミックなお話は天野先生にお任せし、私は私らしく、楽しく白光(株)の日常をお話しします。
白光(株)は1952年に 父吉村 博(故人)が鍛銅工具及びはんだこての製造販売を行う会社として創業しました。父は冶金の専門で自身のその知識、経験を以て戦後の日本の産業復興に貢献したいと強い思いをもっておりました。その熱い志と様々の関係者のご助力によりはんだ付け関連器機、溶解炉、金属鍛造加工等の関連企業を展開することができました。現在、はんだこてをはじめとする、温度コントロール機器のメーカーとして60カ国以上のお客様にご愛顧頂いています。ATACとの関係は父がOSTEC事業・MATE研究会(異業種交流グループ)に参加しておりましたが、その活動の中から出来た企業退職者によるコンサルティング集団と聞いております。長いお付き合いです。そして私の運命を変えたのがその当時のMATE研究会のメンバーです。
真田幸村
いま、NHKの大河ドラマ「真田丸」と大阪城築城400年で、真田幸村が盛り上がっています。
大阪城のある一帯の上町台地には寺院が多くあり、寺町とも呼ばれています。
昔の真田丸もこの地域にあったのです。実は我が家の墓のある菩提寺もこの地区にあります。
先日も墓参りのついでに真田丸の遺跡をみてきました。
今まで毎年墓へお参りにいっていますが真田幸村のことで調べて見たいと言う気にはならなかったが、
やはりドラマの影響なのかその気になりました。
わが家の墓のある寺院は丁度真田山公園の前にあります。
この公園は昔、戦時中には騎兵隊があった場所です。正面には騎馬兵の銅像が長い間ありましたが、
現在は台座のみがあるだけです。この地域には学校も多くあり、文教地区になっています。
丁度我が家の墓のある寺院の裏には高津高校があり、少し離れたところには学制改革の前は
女子高では大阪で一番と言われた清水谷高女(現清水谷高等学校)また、明星学園、
大阪女学院(旧ウイルミナ学院)などがあります。私の本籍もこの地域にありますが
住居表示が変更になったので、いまではどの辺りか見当がつきません。
写真の真田幸村の像(下写真)と抜け穴は近くの三光神社にあります。
顕彰碑は明星学園のグランドの壁に最近設けられました。
その顕彰碑の前の寺院には真田幸村出丸の跡があります。
幸村の座像と「さなだ松」は少し離れた天王寺の一心寺の前の安居神社にあります。
興味のある方は一度訪れられては如何ですか。
(藪野 嘉雄)